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廃墟と化したオリジナルインダストリアルの制御から抜け出して30年。しかし今もなおこうして極光のような発光現象をノイズシーンに可視出来る形で映し、束となった射影に耳を墜とす。音は現象で、いつだってそれは偉大である。
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ノイズ、その効果や働きが死して停まり、附着するビザールが蠢く。チョークやステイプルトンまでもが饗宴するいつかの何処かの説話のような神々しさはしかし化膿した響きとでも呼べる程にむしろおぞましく醜い音で連なる病気の様な音楽。
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現実から現実模倣へと感染していく不具合な振動は、耳に触れるとコピーされるミームで。まるでひとつの臓器を形成していくように音楽を奏でるそれは贓物さながらに脆く美しい。事象を逸脱していく音動は生物的で逞しい。
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現実はクソみたいで、誰もが耳を背ける冷たくて悲惨な外野で生きていくしかない。遮断と拒絶の中にあるそれっていうのがこの1枚に搔き毟ったように記録されている。ノイズは鏡で、どっち側もクソみたいだ。
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壊物が集い壊れた物で壊れた音楽を奏でる。ノイズに鱗屑したビザールがあらゆるモラルから遠くに投擲される姿はフリーミュージックというよりは運動会。音楽を放り投げた音楽抛棄のジャンクすぽると。
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不幸感や虚無感、毎朝起きる度に自分の心が内側に収まってるかどうか不安で仕方が無い。朧げになっていく2歳の娘に触れる手が彎曲している。僕は心が不安定なので裏面1曲目の「フランシス・ベーコン」は二度と聴けない。
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音が連なる襞は幾十にも重なり、擦れてくぐもる響きがイメージを抛棄させる。剥離した蹄の奥底で揺すられる骨と微震する静かな項、沸騰する眼球。暗闇の中、響きだけを頼りに駆け抜けるすべての美しい馬へ捧げよう。
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僕だ。僕のCDだ。これ以上のものは作れないという気持ちで作るが、完成すると後悔しか残らない。ネガティヴミュージックは好きだが、創作という行為はポジティヴな意欲で溢れている。危ういが、だから生きていける。誰よりも速く。