SONASILE

網守 将平

クラシック/現代音楽等のアカデミックなシーンにおいて日本音楽コンクール第1位受賞(作曲部門)やNHK Eテレ『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』への出演等で活躍する一方、電子音楽/サウンドアートのシーンにおいてラップトップによるライブパフォーマンスを断続的に行うなど、ジャンルに捉われない極めて幅広い活動を行っている音楽家の網守将平。これまで音楽シーンと美術シーンの狭間で五線譜とコンピューターを瞬く間に持ち替えてきた彼の単独デビュー作は、自らのピアノやボーカルをエレクトロニックサウンドと共にふんだんに取り入れた、まさかの全編ポップミュージックによるフルアルバム。予測不可能な楽曲構造と複雑なアレンジメントが展開されつつも、一度聴いたら頭から離れなくなるような中毒性の高いメロディーを隙あらば擦り込ませるなど、ジャンル不問かつ総合的に培われた作曲スキル・ポップセンスが容赦なく発揮されており、アルバム全体が一本の叙事詩的映画のように絶妙にまとめ上げられている。そこには、YMO~渋谷系~音響派と脈々と受け継がれてきた日本の音楽とテクノロジーの歴史や文脈を一旦脱構築し、ポジティブに俯瞰する行為をリスナーにもたらし得る、多様な聴取/思考の可能性が備わっている。

ゲストヴォーカリストとして、シンガーソングライターとして既に全国的に高い評価を得ている柴田聡子(M3)、作曲家としても活動しnobleからのリリースなどで知られるBabi(M8)が参加。作詞とギターで、活発なソロ活動と共にceroなどのサポートミュージシャンも務めている古川麦(M10)が参加。マスタリングは、サウンドアーティストでありながらエンジニアとしてもテニスコーツ作品のマスタリングなど幅広く活動を展開している大城真が担当。コンピュータグラフィックス・実写合成を用いたアートワークは若手美術作家である永田康祐が担当している。

◆畠中実(キュレーター、ICC主任学芸員、音楽/美術批評)によるコメント

エレクトロニカ以後のポップスについて考える。ラップトップ・ミュージックの隆盛以降、アレンジのヴァリエーションのひとつとして、それはすでに一般化した手法にもなっている。ある種の時代に特徴的な音楽スタイルは、より通俗的な音楽の意匠として再利用されていくものだ。ポップスとは同時代をもっとも鮮明に反映した、感覚的に、あるいは技術的にも先鋭的な音楽を作り出すものであると考えるならば、ポップスとはつねに実験的なものであるはずだと言うことも可能だろう。音楽スタイル、レコーディング技術などの実験が、やがて新しい音楽スタイルの潮流を作り上げていく。そこでは、実験的であることとポップスであることが相反するものなのではなく、従来的なアプローチによらない実験によって、リスナーの耳をアップデートすることになる。ある音楽がジャンルとして確立され、その当初持っていた先鋭的な要素が、より耳あたりのよい音楽に変化していっても、一方で、音楽のアップデートは今後も果敢に試みられるだろう。

網守将平は、アカデミックな現代音楽を出自とする音楽家であるが、現代音楽、コンピュータ音楽、サウンド・アート、美術家とのコラボレーションなどの多角的な活動を行なってきた。それがなぜなのか、というところにこの作品が制作された動機があるのかもしれない。正統な現代音楽を受け継ぎつつ、エクストリームな電子音響によるライヴ・パフォーマンスを行なうなど、どこか分裂したところも感じられる活動の振れ幅が、この音楽家の「アイデンティティのなさ」を表している。その出自によって、どうしようもなく音楽家であることと、その外部との影響関係において、外縁へと拡張した自身の音楽家的資質のせめぎあい、あらゆる音楽が自身の外部に属しているという意識、によって生み出された作品がここにおさめられている。どこかに帰属している、ということの自由さではなく、どこにも帰属できないがゆえの自由さ、と言うよりはふっきれた、むしろ諦念すら感じさせるような音楽家の態度が作品から感じられるかどうか。とは言いながら、ここには日本の現代の音楽家が、いかに実験とポップスを再構築するか、といった問題意識を聴き取ることができる、音楽家のほとばしる創作意欲を、おしみなく詰め込んだ作品だ。

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